<いわき便り> 二本松城(二本松市)の丹羽高寛の戒律石銘碑、少年隊群像と箕輪門です。

 二本松城の五代藩主丹羽高寛の戒律石銘碑と少年隊群像と箕輪門です。 会津の白虎隊の陰でかすみがちですが、維新の悲劇の一つです。

 ※ 二本松城(にほんまつじょう)は、福島県二本松市郭内にある日本の城(平山城)。日本100名城の一つ。別名、霞ヶ城・白旗城と呼ばれる。
   平成19年(2007年)7月26日、二本松城跡として国の史跡に指定された。「霞ヶ城公園」として日本さくら名所100選に選定されている。
   旧二本松藩戒石銘碑(きゅうにほんまつはんかいせきめいひ)は、二本松藩第7代藩主丹羽高寛が、家臣で儒学者の岩井田昨非の献策により、
   藩士の戒めとして旧二本松城の入り口にあたる場所(現福島県二本松市郭内3丁目)に設置した石碑。一夜のうちに自然石(花崗岩)の露出面に
   刻まれたという。1935年(昭和10年)12月24日、国の史跡に指定された。
   石碑には16字が4字4行(爾俸爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺 寛延己巳之年春三月)に刻まれており、碑文の意は「お前のいただく俸禄は
   人民の汗であり脂(あぶら)である。下民は虐げやすいが上天をあざむくことはできない
」で、藩政改革と綱紀粛正の指針を示したものとされる。
  (ウィキペデアより)

 丹羽高寛の戒律石銘碑

 少年隊群像と箕輪門



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